法という概念は生き残ることができるのか

「法」と行っても色々とあります。

みなさんが法律とか弁護士とかと言われてまず想像するのは、いわゆる「六法全書」と呼ばれる分厚い本だと思います。

六法全書にはたしかに基本的な法律はおおよそ載っています。

そこには、憲法民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法の基本六法をはじめとして、金融商品取引法、労働法、不正競争防止法特許法道路交通法個人情報保護法マイナンバー法などなど私達の生活の基本を形作る法律がたくさん載っています。

 

しかし、そもそもなぜ法という概念が存在するのか、そして、なぜ法という概念が存在「しなければならない」のか、六法全書のすみずみまで目を通し、どの法律を読んだところで書いてありません。

そんな話、気になる人はあまりいないかもしれません。

しかし、コンピュータが工学的技術を爆発的な速度で進化させていく現代において、抽象的な事象だけを頭でこねくり回す法学のような学問が、果たしてどれくらい世の中に利益をもたらすといえるのか、疑問が残らないではありません。

 

情報学者の落合陽一氏は次のように述べます。

リベラルアーツ(注:人文科学、自然科学、社会科学などの一般教養)の分野はコンピュータによってあまり拡張されません。コンピュータは人間の手の技を拡張するのに向いているツールなので、リベラルアーツとの親和性が低いのです。

そのため、コンピュータの存在感が大きくなればなるほど、抽象志向だけのリベラルアーツは力を持ちにくい。メカニカルアーツ(注:工学や建築学などの手を動かす仕事)とつながるリベラルアーツは価値を持ちますが、メカニカルアーツなしのリベラルアーツは経済市場においてほとんど意味がなくなります。

落合陽一『これからの世界をつくる仲間たちへ』

落合氏の考える未来が本当に来るのかはわかりませんが、少なくとも世の中に法学がどれくらいのインパクトを与えることができるのか、僕には正直いって答える術がありません。

しかし、もし仮に何もインパクトを与えることができない、すなわち法学という概念が存在「しなければならない」理由はなく、メカニカルアーツの前に甘んじて完全敗北を喫するのだとすれば、人類の叡智である法を生み出してきた先人たちの軌跡は何だったのかということになってしまう。もちろん、弁護士の市場価値も暴落してしまうでしょう(ぶっちゃけこっちのほうが重大)。

だから、僕は考えたいのです。そして、知りたいのです。「法とは何か」を。

 

このブログは、しばらくは以上のような問題意識を持って僕なりに情報を摂取し、まとめ、何かしら書いていけたらなと思います。

 

上記で引用した本はこちら。色々とエモい本です。